「ありがとう」の反対は?語源なども掘り下げてみました!
リョーです。
先日、和泉元彌さん率いる和泉流宗家の、狂言を鑑賞する機会がありました。
狂言を演じた後の和泉元彌さんのトークの中で、とても素敵だと感じた言葉があったので、紹介します。
「ありがとう」の反対になる言葉は「当たり前」
マザーテレサの有名な言葉に、「愛の反対は無関心」というものがあります。
では、「ありがとう」の反対になる言葉は何でしょうか。
「ありがたい」は「有り難い」と書きます。
「有り難い」=「滅多にない貴重なこと」の反対は、当たり前にあるものですね。
つまり、「有り難い」の反対は「当たり前」なのだと、話していました。
新型コロナウイルスの影響で、様々な「当たり前」と思われていた日常が遠のく経験をしています。
和泉元彌さん本人の経験でいうと、日常的に行っていた狂言を人前で公演するということが、出来ない日々が続きました。
そして、子ども達も学校に行くことさえできない日々があり、運動会や修学旅行といったイベントも中止・延期・縮小しました。
このような中で、当たり前にできていたことが出来なくなり、普段通りのことと昔は感じていたことが、ちゃんと出来た時に「有り難い」と、感謝を感じるようになったそうです。
「ありがとう」の語源は?
感謝の言葉「ありがとう」の語源については諸説あるようです。
その中で有力なものの一つは、仏教由来のものです。
お釈迦様が話した以下の言葉があります。
「人として生を受け、人生を送ることが出来る確率はとても低く、有り難いことなのだと」
確率が低いということは、「有ることが難しい」ことで、「有り難い」という言葉が生まれました。
そして、あなたがしてくれたことはとても「有り難い(滅多にない)」素晴らしいことで、感謝するという意味になったというものです。
知られているだけで、地球上に現存する生物は約175万種。
まだ知られていない生物を含めると、500万から3000万種いるという説が有力です。
ほとんどの生物は、まず生存するだけで熾烈な、生きるか死ぬか、文字通り「弱肉強食」の世界の中で生きています。
そのようなことに想いを馳せると、自分が人として生まれたことに、僕は「有り難い」と感じます。
「当たり前」と思うと感謝が生まれない。
和泉元彌さんの言葉のように、「当たり前」と考えていることに、人は感謝をしません。
・妻が家事をするのが当たり前
・蛇口をひねると、飲み水が出てくるのが当たり前
・戦争の無い平和な世の中が当たり前
など…
家事をしない夫に愛想を尽かせて妻が家を出て行ったり(家から追い出されたり)、
飲み水が貴重な、発展途上国に暮らすことになったり、
急に自分の国で戦争が起こったり、
「当たり前」と考えていることが当たり前でなくなった時に、その貴重さ・有り難さが分かるものかもしれません。
そう考えると、確かに「ありがとう」「有り難い」の反対語は「当たり前」と考えて良いようだと思います。
まとめ
今回は、「ありがとう」の反対の言葉が「当たり前」であるということについて書いてみました。
当たり前と思わずに、有り難いと感謝できる人でありたいですね。
そして、自分の娘にも「ありがとう」と言える、心から「有り難い」と感じられる人になってもらいたいなと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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